第1話
桜色は、秘密。
冬の朝、いつもの通学路
都心から電車で二時間ほど。 都会へ行こうと思えば行ける程度の 片田舎の町。
住宅街のすぐそばには田んぼや畑が広がり、 季節になれば稲の匂いが風に乗って届く。
そんな町でも、 外国の血が入った人なんて、 もう珍しくはなくなっていた。
さくら・ノワールの父、アランも フランス系アメリカ人だった。 けれど――。
父譲りの鮮やかな赤い髪と、 青い瞳だけは、 この町ではどうしても目立ってしまう。
幼い頃は、それが少しだけ嫌だった。
知らない人に振り返られることもある。 興味本位で見られることもある。
けれど、学校には大切な友達がいて、優しい家族がいて、大好きな弓道があった。
そして、弓道部には、少しだけ憧れている先輩がいた。
その気持ちは、美咲にも、陽子にも、お父さんにも、お母さんにも話していない。
誰にも言えない、小さな秘密。
だから今日も、さくらは自転車に乗って、いつものあぜ道を学校へ向かう。
さくら・ノワール「おはようございます!」
農家の男性「おう、おはよう。今日も寒いな」
さくら・ノワール「はい! でも、朝の空気って気持ちいいですね」
陽子「おっはよー! さくら、今日も元気そう!」
美咲「さくら、今日もギリギリ!」
さくら・ノワール「普通なの。二人が早すぎるだけ」
陽子「それを世間では、遅いって言うんだよ?」
さくら・ノワール「もう、陽子まで!」
三人の笑い声が、冬の校門に明るく響いた。
美咲「でも、三年生の引退も近いんだよね」
陽子「うん。いつもの毎日も、少し変わっちゃうのかな」
笑顔の隙間に、まだ名前のない寂しさが落ちた。
弦音の響く弓道場
放課後の弓道場に、張り詰めた空気が満ちていた。
さくらは静かに弓を引き、狙いを定める。
乾いた弦音が響き、矢が的へ吸い込まれていく。
拓也「いい射だ」
さくら・ノワール「ありがとうございます!」
拓也「前より肩の力が抜けたな」
さくら・ノワール「はい。先生にも言われました」
拓也「そういう基本が、一番大事だからな」
さくら・ノワール「はい!」
髪や瞳ではなく、弓を引く本人を見てくれる。そのことが、さくらには嬉しかった。
稽古の終わりと先輩の言葉
稽古を終え、二人は弓具を丁寧に片付けていた。
拓也「冬休みも自主練するのか?」
さくら・ノワール「はい。家でゴム弓くらいですけど」
拓也「それでも続ける奴は伸びる」
さくら・ノワール「ありがとうございます」
拓也「焦るなよ。少しずつでいい」
さくら・ノワール「はい。先輩の言葉、覚えておきます」
さくらは胸の奥でその言葉を何度も受け止め、嬉しそうに微笑んだ。
夕暮れの帰り道
夕焼けの帰り道を、二人は半歩の距離で歩いていた。
拓也「あれ」
さくら・ノワール「家、こっちなんですか?」
拓也「途中までは」
さくら・ノワール「もう二学期も終わりですね」
拓也「ああ。三年生は引退だな」
さくら・ノワール「……そうですよね」
先輩との別れが近づいている。その事実が、足取りを少し重くした。
拓也「そういえば、その髪」
さくらの肩が、わずかにこわばる。
拓也「夕日に当たると綺麗だな」
さくら・ノワール「……え?」
拓也「赤っていうより、少し桜色に見える」
拓也「変な意味じゃないぞ」
さくら・ノワール「……ありがとうございます」
夕日に染まる赤髪。嫌いだった髪を、初めて綺麗だと言われた。
隠せない髪と、誰にも言えない恋心。二つの秘密が重なった。
拓也「じゃあな」
さくら・ノワール「はい!」
さくらは、遠ざかる先輩の後ろ姿を見送った。
ノワール家の夕食
さくら・ノワール「ただいま!」
由美子「おかえり、さくら」
由美子「今日はなんだか機嫌がいいわね」
さくら・ノワール「えっ? べ、別に!」
由美子「何かいいことあったの?」
さくら・ノワール「ほんとに、何もないってば!」
由美子「そう。ふふっ」
由美子は何かを察したように、優しく微笑んだ。
アラン「今日のごはん、とてもおいしい。おかわりを希望します!」
さくら・ノワール「お父さん、その言い方ちょっと変だよ」
アラン「そう? 私は正しい日本語を使いました!」
由美子「ふふっ、気持ちはちゃんと伝わってるわ」
食卓に穏やかな笑いが広がり、夜は静かに更けていった。
鏡に映る桜色
夜。さくらは部屋の鏡の前で、赤い髪を指でそっと梳いた。
さくら・ノワール「……桜色、か」
その言葉を思い返すと、胸の奥がくすぐったくなる。
ずっと嫌いだった自分の髪を、ほんの少し好きになれた気がした。
さくら・ノワール「桜色……」
髪の秘密と、誰にも言えない恋心。その二つを抱え、さくらは鏡の中の自分へ微笑んだ。
二学期最後の日
終業式を終えた校舎に、生徒たちの声が響いていた。
美咲「三年生、もう引退なんだね」
陽子「卒業まで、あと少しだって」
明るい声の奥に、先輩たちとの別れを惜しむ空気が漂っている。
さくら・ノワール「……拓也先輩とは、あと何度会えるのかな」
さくらは冬空を見上げた。誰にも言えない想いを、胸の奥へしまう。
遠くの弓道場から、張りのある弦音が響いた。
さくら・ノワール「……よし」
さくらはマフラーを巻き直し、小さく微笑んだ。
この想いは、まだ誰にも言わない。
夕日に染まる髪と、秘めた恋心。
桜色は、秘密。